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加賀百万石を築いた加賀藩祖・前田利家公とお松の方が祀られている尾山神社。
なんとも珍しいギヤマン、いわゆるステンドグラスですね、が嵌め込まれた神門は、兼六園や金沢城と並ぶ金沢の代表的な観光スポットですね。
尾山神社の裏に、2020年に復元された鼠多門は、金沢城へと続いていて新たなる一台観光ルートとなっております。
尾山神社の御祭神は、
- 加賀藩祖・前田利家公
- 利家公の正室・お松の方
です。
御祭神が、いわゆる神様ではなくて、加賀国を築いた利家公とお松の方を祀っているという、なかなか珍しい神社ではあります。
戦国の武将が御祭神なので、
- 文武両道
- 必勝
さらにご夫婦で祀られていることから
- 夫婦円満
- 子宝安産
のご利益があるとも言われてますよ。
【金沢】ここぞ!という時には加賀藩祖前田利家公と御正室お松の方を祀っている「尾山神社」で必勝祈願!実は現在の尾山神社そのものは、明治時代に作られました。
というのも、ことの始まりは慶長4年(1599)3月3日。
加賀国の礎を築いた前田家初代藩主・利家公がご逝去されます。
2代前田利長は、利家公を神としてお祀りしたい!
と思うも、前田家は外様大名。
幕府の許可なく、勝手に祀るとか、しかも神社に神格化して祀るとかムリ。
そこで利長考える。
前田家の守護神で現在の富山・越中国にあった物部八幡宮と榊葉神明宮(さかきばしんめいぐう)を金沢に遷座するという名目で、卯辰八幡宮を建立。
場所はちょうど金沢の城下町から鬼門の方角にある卯辰山。
そしてそこで、利家公の御神霊も一緒に祀り申しあげる!
なかなか策士ですな。
そんなこんなで時代は流れ、明治の廃藩置県後。
旧加賀藩士らは祭祀を継続、さらに前田利家の功績を後世に残すべく、明治6年(1873)、現在の場所に新しい社殿を造営し「尾山神社」としたのであります。
ちなみに現在の尾山神社のある場所は、元々加賀藩主や側室の住まいとしていた金谷御殿の跡地です。
平成10年(19998)9月27日には、利家公の正室・お松の方も尾山神社に合祀されます。
お松の方が祀られたのがわりと最近でした。
ちなみに利家公とお松の方を描いた大河ドラマ『利家とまつ』は平成14年(2002)年放送であります。
尾山神社の見所といえばやはりこのギヤマンの嵌め込まれた神門でしょう!
和漢洋の3様式を取り入れたという全国的にもかなり珍しい建築物ではないでしょうか。
神門は明治8年(1875)に造られました。
というか明治期にこれを造ったのがすごいな。
いわゆるステンドグラスが北陸で初めて使われたものらしいです。
当時はかなり斬新で奇抜なアイデアだったんじゃないですかねぇ。
まぁ今見ても相当珍しいよなぁ。
今では国の重要文化財ですからね。
ちなみに一番上に立ってるのは日本最古の避雷針です。
夕方から夜22時までライトアップされるので、ギヤマンの美しさを見るならやはり夜ですかね。
尾山神社の正門でもある神門を通り抜けると、右手に手水舎、正面に拝殿があります。
手水舎の奥にガラス張りのめっちゃおしゃれな授与所があるのですが、訪れた時は、閉めてました。
もし仮にガラス張りの授与所が閉まっていても、拝殿向かって左手奥にも授与所がありますよ。
御朱印はこちらでもらえます。
こちらが尾山神社の狛犬。
なんつーか、めっちゃ凛々しくてかっこいいな。
狛犬ってより、狛獅子みたいな。
個人的にはなかなか見応えのあるイケ狛犬だと思います。
尾山神社の境内には利家公とお松の方の像があります。
こちらは前田利家公。
槍の名手と謳われていたので槍を持ったお姿で、背中には母衣がありますね。
背中の丸い膨らんだのが「母衣(ほろ)」です。
母衣は、武将が鎧の背につける飾りで、馬で駆けると風で膨らみ流れ矢を防ぐための武具としての役割もあった。
利家公は織田信長の赤母衣衆だったので、背中の母衣は実際は朱色だったはず。
利家公の像の横の石板に彫られているのが、ご正室のお松の方。
大河ドラマ『利家とまつ』(平成14年放送)を記念して、平成12年に造られました。
尾山神社は金沢城の金谷御殿があった場所に建てられているので、旧金谷御殿の庭園が今も残っています。
古代舞楽の楽器を模したという地泉廻遊式(ちせんかいゆうしき)の庭園。
池に浮かぶ島や橋に、鳳笙島、琵琶島、鳥兜島、琴橋、八ツ橋、図月橋と、それぞれに雅楽にちなんだ名前がつけられていて、「楽器の庭」とも呼ばれてます。
庭の奥に、遥拝所へと上る階段がありまして。
登った先には、それぞれ伊勢神宮と明治神宮の方を向いて拝む遥拝所があります。
こんな感じですね。
なんとなくそのまま遥拝所から続く道を進んでみました。
金沢の街中にあるとは思えない山道感ですが、尾山神社の境内内です。
神苑を上から見渡すことができました。
ぐるっと回れるんですね〜。
結構気が生い茂っていて、あんまりいい感じに写真撮れてませんが……
ちょっとした滝もありました。
響遠瀑というらしいです。
滝の水が神苑へと流れてるんですね。
もともと神苑の水は、3代利常公の命で完成した辰巳用水の水を、高低差を利用して兼六園から暗渠でひいていたそうですが、現在は当時の水路が断絶してしまっているので、井戸を掘り、地下水を池に流しているそうです。
尾山神社の奥、鼠多門橋の近くにある東神門。
金沢城の二の丸御殿にあった唐門で、昭和38年(1963)に移築されたもの。
総ケヤキ造りで釘は1本も使われておりません。
ちなみに金沢城は江戸の頃からちょいちょい火災にあっていた。
しかも明治の火事でほとんどの建物が焼失してしまってるので、当時の建物が残っているのはかなり貴重なんです!
この唐門が幾度も火災を潜り抜けてきたのは、門に彫られた2匹の龍が水を呼んだからという言い伝えもあるんです。
というのを以前鼠多門を見に行ったときにボランティアガイドの方に聞きました。
【金沢】ねずみ年に復元された金沢城の「鼠多門・鼠多門橋」に子年のうちに行ってきた尾山神社の御本殿の隣にあるお社は金谷神社といいます。
こちらには2代藩主利長公以降、17代までの藩主とそのご正室が祀られています。
ちょうどここからは尾山神社本殿の玉垣も見えます。
玉垣は、神社の本殿の周囲だったり、境内の境界にめぐらした垣のことです。
尾山神社の玉垣はなんとレンガ造りなのです。
前田家の家紋の梅鉢紋が配されてるのですが、神社の玉垣がレンガ造りというのもまた珍しい。
金沢、わりとレンガ造りの建物が多いのですが、ここ尾山神社のレンガ造りの玉垣は、金沢で最も古いらしいです。
そして今はやはり、尾山神社から鼠多門・鼠多門橋へと直結している!というのがかなりの目玉ですよね。
まぁ江戸時代はこうやって繋がってたわけですが。
うん、やっぱりかっこいいわ、鼠多門。
【金沢】ねずみ年に復元された金沢城の「鼠多門・鼠多門橋」に子年のうちに行ってきた 【金沢】ねずみ年に復元された金沢城の「鼠多門・鼠多門橋」に子年のうちに行ってきた〜その2〜名称 | 尾山神社(おやまじんじゃ)OYAMA shrine |
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創建 | 明治6年(1873年) |
御祭神 | 前田利家公、お松の方 |
ご利益 | 文武両道、必勝、夫婦円満、子宝安産、縁結び |
御朱印 | あり(社務所にていただけます) |
所在地 | 〒920-0918 石川県金沢市尾山町11-1 |
拝観時間 | 自由 お祓い時間9:30〜15:30 |
社務所、授与所 | 8:30~18:00 |
定休日 | なし |
駐車場 | あり |
アクセス | 「南町・尾山神社」バス停から徒歩約3分 |
TEL | 076-231-7210 |
URL | http://www.oyama-jinja.or.jp |
- 2021年6月に訪問した際の内容です。営業形態、営業時間や定休日が表記と異なる場合がありますので、ご利用の際は必ず事前にご確認ください。
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