【金沢】「石垣の博物館」とも呼ばれる金沢城には多種多様な石垣があり「金沢城石垣巡り」ルートもあるよ

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金沢城石垣巡り

金沢城は加賀百万石を築いた加賀藩前田家の居城。

兼六園の正面にある「石川門」が有名ですね。

他にも三十間長屋や菱櫓、最近復元された鼠多門など見所もいっぱいです。

しかし!

金沢城の見所はそれだけではないのです!

実は金沢城は「石垣の博物館」と呼ばれるくらい、多種多様な石垣があるのですよ!

加賀百万石を築いた前田家の居城・金沢城

金沢城石垣巡り

金沢城といえば、隣接する兼六園と並んで石川県を代表する観光地。

ここは江戸時代に加賀百万石を築いた加賀藩前田家が14代にわたり居城としたお城。

金沢城の創建自体は、天文15年(1546)に、加賀一向一揆の拠点として本願寺が「金沢御堂」を築いたことに始まります。

その後、織田信長軍の柴田勝家らにより一揆が制圧され、天正8年(1580)に佐久間盛政が入城し、築城を始めます。

それから3年後の天正11年(1583)に前田利家が入城!

その後、金沢城は明治2年までの長きに渡り、加賀藩前田家14代の居城となったのです。

前田利家の入城から、本格的な城造りが始まったのですが、慶長7年(1602)の落雷により天守が焼失。

天守は再建されることはなく、二の丸に御殿が建てられます。

その後またまた火事により二の丸御殿焼失……

再び再建されるも明治14年(1881)の火災で焼失してしまいます……

金沢城の歴史を見ると、それはもうびっくりするくらい火災が起きてるんですよ……

明治以降から終戦まで、金沢城は旧陸軍の拠点になります。

その後平成7年(1995)まで金沢大学のキャンパスとして利用されてきました。

お城の中にある大学として有名だったんですけどね、金沢市郊外の角間キャンパスに移転しました。

大学の移転に伴って、石川県が用地を取得して整備を進め、平成13年(2001)に「金沢城公園」として開園したのであります。

その後順次、菱櫓や河北門、玉泉院丸庭園などが復元されていっています。

令和2年(2020)には鼠多門が復元され、今は二の丸御殿の整備に向けて動き出したようです。

二の丸御殿の完成が楽しみですねぇ。

金沢城の石垣

金沢城石垣巡り

金沢城では、各門の出入り口や庭園まわりなどの石垣は、その場所に応じて石垣の様式を使い分けたりしてるのです。

芸術的センスが高かったとも言えるけど、はたから見ると不思議ですよねぇ。

百万石という大藩であることから、幕府からも目をつけられていたので、はむかう意志はないですよということを示していたという一端もあるらしいですが。

というようなことをブラタモリで言ってました。

あとはやっぱりとにかく火災が多かったこともあるんでしょうね。

火災のたびに、何度も修繕が繰り返されましたからねぇ。

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金沢城の石垣の多くは戸室石

金沢城石垣

金沢城の石垣で使われている石は、金沢城から城の南東約8kmの、金沢市郊外にある戸室山から運ばれたもの。

ここで産出される戸室石は、角閃石安山岩という火山岩の一種。

約40万年前の火山から噴出したマグマが冷えて固まったもの。

とても加工がしやすい石なのだそうで、金沢城の石垣だけでなく兼六園の石橋にも使われてます。

また戸室石には赤みを帯びた「赤戸室石」と、青みを帯びた「青戸室石」があります。

成分的な違いはほとんどなくて、マグマが冷え固まる時間の差で色味が変わるらしい。

自然の石で色味の違いがあったことも、モザイクのようなアーティスティックな石垣ができる要因でもあったのかな。

ちなみに戸室石を引いて運んだ道は、現在の地名にもなっている「金沢市石引」の由来にもなってます。

戸室山には今も、当時の石切り場や石引き道が残ってるそうです。

石垣専門職人「穴生」が造った石垣

金沢城の石垣は、「穴生(あのう)」と呼ばれる石垣の専門職人が作りました。

金沢では「穴生」と書くけど、「穴太」とも書きます。こっちの方が一般的かも。

穴太衆と呼ばれる人たちは、今の滋賀県、近江国穴太村出身の石工のこと。

石積みのプロフェッショナルですね。

穴太衆の高い技術力に目をつけた織田信長がスカウトして安土城を作らせたのは有名ですが、それ以降、穴太衆は全国の城郭の石垣造りに関わっていくことになるのです。

織田信長に仕えていた前田利家も、穴太衆の技術力にいち早く目をつけ、早くから穴生を藩に迎えて加賀藩お抱え石垣職人としたのです。

前田家に召し抱えられた穴太衆の中には、金沢城の石垣の特徴を「石垣和歌」として残した後藤彦三郎というなかなかの石垣LOVERもいます。

間違いなくオタクですね。石垣オタクです。

そんな石垣オタクも力を振るったであろう金沢城には、それはもう多種多様な石垣があるのですよ。

しかも金沢城公園内には「石垣めぐり」の散策ルートと掲示板もあるのです。

「石垣の博物館」とも呼ばれる所以ですね。

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金沢城の石垣回廊コース

金沢城石垣巡り

金沢城の石垣巡りコースには、

  • 城内ルート(約1.5km)
  • 城内外連絡ルート(約0.4km)
  • 城外周ルート(約2.1km)

と3つのルートが用意されてます。

城内の案内所には「金沢城石垣巡り」のチラシも置いてありますよ。

金沢城石垣巡り:城内ルート

  1. 石川門石垣
  2. 内堀石垣
  3. 菱櫓・五十間長屋・橋爪門続櫓石垣
  4. 二の丸北面石垣
  5. 土橋門石垣
  6. 数寄屋敷石垣
    (菱櫓・五十間長屋・ 橋爪門続櫓)
  7. 戌亥櫓石垣
  8. 三十間長屋石垣
  9. 鉄門石垣
    (戌亥櫓跡)
    (本丸園地)
    (辰巳櫓跡)
    (丑寅櫓跡)
    (鶴丸倉庫)
  10. 東の丸北面石垣
  11. 石川門石垣

金沢城石垣巡り:城内外連絡ルート

  1. 色紙短冊積み石垣
  2. (玉泉院丸庭園に面した石垣郡)
  3. いもり坂と薪の丸
  4. 薪の丸東側の石垣
  5. 申西櫓(さるとりやぐら)下の石垣
  6. 石積模型
  7. 発掘石の展示

金沢城石垣巡り:城外周ルート

  1. 玉泉院丸鼠多門周辺の石垣
  2. 玉泉院丸南西の石垣
  3. いもり堀の石垣
  4. 申西櫓(さるとりやぐら)下の石垣
  5. 石積模型
  6. 発掘石の展示
  7. 明治の石垣
  8. 本丸南面高石垣
  9. 鯉喉櫓台(りこうやぐらだい)石垣
  10. 車橋門周辺の石垣
  11. 蓮池堀(百間堀)の石垣
  12. 東の丸東面の石垣
    (百間堀園地・旧沈床園)
  13. 三の丸東面の石垣
  14. 大手門の石垣
  15. 大手掘の石垣
    (大手堀)
    (黒門)
  16. 数寄屋敷西方の堀縁石垣
    (丸の内園地)
  17. 玉泉院丸鼠多門続櫓台石垣

「金沢城石垣巡り」のマップをみると、このようなルートになってますね。

これらを巡るとおそらく金沢城の石垣をほぼ網羅できるかと思います!

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