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織田信長の居城・清洲城。
桶狭間の戦いの時は清洲城から出陣し、また本能寺の変の後には清洲城で清洲会議が開かれたりと歴史的にかなり重要な場面に登場するお城。
愛知県清須市にある清洲城はたぶんこんなだったんじゃないかな?という想像の元造られたお城です。
清洲城といえば織田信長の居城、そして本能寺の変の後、後継者を決めるための「清洲会議」の舞台ともなった戦国武将にとって重要なお城。
愛知県清須市にあるのですが、今ある清洲城は平成元年(1989年)に再建されたもの。
元々は五条川を挟んだ対岸にある清洲公園にあったと言われてます。
現在の清洲城は、鉄筋コンクリート造りの3層4階建て。
城内は戦国時代の清洲城下の町並みや武将の暮らしとか、火縄銃体験、甲冑の試着ができたりとなかなか楽しそうなミュージアムになってます。
4階の展望室からは清洲城下が一望できるらしい。
……残念ながら、清洲城についたのがすでに午後4時半を回っており、中には入れなかった……(´_`。)
清洲城が築城されたのは室町時代。
- 応永12年(1405年)、尾張国守護職・斯波義重(しば よししげ)が下津城(稲沢市)の別郭として築城
- 文明8年(1476年)、戦乱により下津城が焼失
- 文明10年(1478年)、下津城の別郭だった清洲城が守護所になり、清洲が尾張の中心地になる
- 織田信秀(信長の父)が斯波三奉行になり清洲奉行として清洲城を居城とする
- 織田信秀が古渡城に移り、織田信友(尾張守護代で信長の弟・信行に味方し信長と対立)が入城
- 弘治元年(1555年)、信長と結んだ織田信光によって信友が殺害される
織田信長が那古野城から清洲城に入城し本拠地とする - 永禄3年(1560年)、清洲城より桶狭間の戦いに出陣
- 永禄5年(1562年)、信長と徳川家康との間で同盟が結ばれる。いわゆる「清洲同盟」
- 永禄6年(1563年)、信長は小牧山城に移る
- 天正10年(1582年)、本能寺の変で信長が討たれる
- 天正10年(1582年)、信長の後継者を決める「清洲会議」が開かれる
信長の次男・織田信雄が城主になる - 信雄による清洲城の改修で城下町のあらゆる機能を備えた城塞都市として過去最大規模のものになる(東西1.6km、南北2.8km)
- しかし、豊臣秀吉の国替え命令に逆らい除封され、豊臣秀次の所領に
- 文禄4年(1595年)、福島正則の居城となる
- 慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦いで東軍の軍事拠点になる
- 関ヶ原の後、家康の4男・松平忠吉が入城
- 慶長12年(1607年)、家康の9男・徳川義直が入城、清洲藩の本拠となり「天下の名城」と言われるまでに発展する
- 慶長14年(1609年)、家康から清須から名古屋への遷府が出される
- 慶長15年(1610年)、清須城下町を名古屋城下に移転するいわゆる「清洲越」が行われる
- 慶長18年(1613年)、名古屋城の完成と城下町の移転が完了し、廃城
いや〜なかなか波乱万丈なお城ですね。
清洲越により、尾張の政治・経済・司法の中心は清須から名古屋へと移り、清洲城も取り壊され、城下町も歴史から姿を消すことに。
ただ清洲城の資材は、名古屋城築城の際にも利用され、名古屋城御深井丸(おふけまる)の西北隅櫓は清須城天守の資材を転用して作られたため「清須櫓」と呼ばれてる。
時は流れて、平成元年(1989年)、旧清洲町の町制100周年を記念して、清洲城跡に隣接する清須市清洲地域文化広場内に「清洲城」が築城される。
創建当時の絵図などは残念ながら残っていないため、外観や規模は、実在した当時はたぶんこんなだったんだろうという想像の元、設計されたそうです。
ちなみに信長の子孫としても有名な、プロフィギュアスケーターの織田信成さんが2010年に清須市の「清須越四百年事業」のPR役として、清洲城の名誉城主に就任してました。
残念ながら任期は1年間らしいです。
ずっとやればいいのに〜。
現在の清洲城の入り口。
「清洲城」と書かれた石碑と信長塀がいい感じです。
本能寺の変の後に開かれた「清洲会議」も清洲城で行われてます。
実際の場所は、川を挟んだ対岸の清洲公園らしいですが。
「清洲会議」は、まぁ信長の後継者を誰にするか!?を決める会議ですね。
日本史城初めて?会議で後継者を決めた歴史的会議、三谷幸喜さんの映画『清洲会議』でも有名になりましたね。
秀吉が即座に弔い合戦として明智光秀を討ったけど、秀吉の台頭を抑えたい柴田勝家が、小竹の重心を集めて信長の正統な後継者を決めよう!と清洲城で開いたのが「清洲会議」ですね。
この会議により秀吉の推した信長の嫡男・織田信忠の幼少の嫡子・三法師(さんぽうし)が正統な後継者に決まるわけですが。
これにより秀吉は力をつけていくわけですねぇ。
ちなみに清洲会議では後継者のほか、領地の分配なども決められてます。
そうそうお城や地域の名称で、「清洲」と書く場合と「清須」と書くときがありますが、どちらも同じ意味で使われてます。
中には入れなかったのですが、庭はまだちょろっと見ることができた。
お庭もなかなかに立派です。
砂紋もあり綺麗に手入れされてる。
こちらが想像復元?された清洲城。
うーんカッコいい!
戦国時代は白じゃなくて黒い壁のお城が多かったんですよね。
最上階に赤が使われてるのは信長っぽい気がするなぁ。
清洲城には信長塀もありました。
信長塀は、信長が桶狭間へ出陣する際、途中立ち寄った熱田神宮に戦勝祈願し、見事大勝したのでそのお礼に熱田神宮に奉納された塀。
それをモデルにした塀だそうです。
【名古屋】熱田神宮に来たなら出世のご利益があるかもしれない「信長塀」は外せない。あと「ならずの梅」も残念ながら到着が閉館ギリギリだったため外観しか拝めなかった清洲城。
ちょうど夕日に映える清洲城が見れたので良しとするかぁ。
絶対また見にいくんだ〜。
今度はお城めぐりにしようかなぁ。
名称 | 清洲城(KIYOSU castle) |
---|---|
所在地 | 〒452-0932 愛知県清須市朝日城屋敷1−1 |
開館時間 | 9:00〜16:30(入館は午後4時15分まで) |
定休日 | 月曜日・年末(12月29日~31日) ※月曜日が祝日・振替休日の場合は、翌平日 |
駐車場 | あり(清洲公園駐車場) |
アクセス | 名鉄「新清洲」駅下車徒歩約15分 JR「清洲」駅下車徒歩約15分 |
TEL | 052-409-7330 |
URL | http://kiyosujyo.com |
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