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兼六園に行くと、石川門の方から入り、丘の上の方へと行くと赤い門のある塀に囲まれた建物が現れます。
ここは「成巽閣(せいそんかく)」と言って、加賀藩主前田家13代当主齊泰(なりやす)が母堂の12代奥方、眞龍院(しんりゅういん)の為に造った奥方御殿なのです。
兼六園とは別に、入館料はいるんだけど、加賀百万石の伝統文化や工芸の粋をこらして造られた御殿「成巽閣」は一見の価値ありですよ。
大名屋敷?ではあるけど、女性のためのお屋敷として造られてるので、雰囲気の違いもあって、実に雅で優雅な気分になれるので楽しいよ。
「成巽閣」は、加賀藩主第13代齊泰(なりやす)が、母堂にあたる12代奥方の眞龍院のために造営した奥方御殿。
時代は江戸時代末期の文久3年(1863年)。
ちょうど10年前の嘉永6年(1853)といえば、そう黒船来航!
ペリー率いる軍艦が浦賀沖に現れて、江戸は上を下への大騒ぎだった頃ですねぇ。
それからは桜田門外の変が起きたり、生麦事件だ薩英戦争が起きたりと動乱の時代。
そして、慶応3年(1867年)には大政奉還が起き、時代は明治へと変わっていく……
そんな頃に、できた御殿であります。
そう思ってみると、よくそんな時代に、これだけの優美なお屋敷が作れたなぁと感慨深いものがあります。
「成巽閣」は、建てられた当初は「巽御殿」と呼ばれてたそうです。
金沢城から見て「巽」の方角(東南)にあること、
眞龍院(鷹司隆子)の生家の京都の鷹司家が「辰巳殿」と呼ばれていたこと、
「辰巳用水」が庭園を流れている、
などなど、「辰巳」という言葉にかなり縁が深かったから「巽御殿」と名付けられたそうです。
確かに、え?狙った?ってくらい「辰巳」が絡んできますね。
眞龍院は、巽御殿の完成とともに、この御殿に入り、明治3年(1870年)にこの御殿で生涯を終えました。
その後、明治7年(1874年)に、元藩主の齊泰が「成巽閣」という名称に改めたそうです。
昭和13年(1938年)に旧国宝、昭和25年(1950年)に重要文化財に指定されました。
「成巽閣」に入りると、このような推奨順路の紙をもらいます。
ここにおっきく書かれているように、「成巽閣」の各お部屋の名前は、障子の腰板に描かれた絵が由来となってるんです。
鮎の廊下には「鮎」の絵が、貝の廊下には「貝」の絵が描かれているんです。
あんまり目線を下に下げることはないかもしれないけど、ここは是非注目してみたいとこですよ。
あ、「成巽閣」ではお屋敷内の撮影は全面的に禁止されてるので、是非直接見に言っていただきたいと思います〜。
ほんとにねー、見事なまでに細やかなところまで美しく丁寧に造られてるんですよ。
ギヤマンの絵が嵌め込まれてたり、部屋毎に天井の様式とか壁の色変えたりとか、これでもかってくらい趣向を凝らして作り上げた空間になってます。
個人的には「謁見の間」が大好きです。
パンフレットにも写真が載ってますが、謁見の間から広間の方へと目をやると、思わず
「くるしゅうない、ちこうよれ」
とか大名ごっこしたくなる感じです(笑)
あ、これだけ見事な御殿なので、「成巽閣」は明治以降は歴代天皇や皇族のご宿泊・御休憩所としても使われておりました。
「つくしの緑庭園」にあるクロマツ。
「成巽閣」は邸内の写真撮影はできませんが、お庭は写真撮影OKです。
別の角度から撮ってみた。
つくしの廊下の前にある庭園ですね。
庭園にいたつくばい。
こんな感じに木々があしらわれています。
遣水が流れるように横切ってる感じですね。
庭の前の縁側には毛氈がひかれてて、のんびりと気持ちよく庭を眺めることができますよ。
こちらは「万年青の緑庭園」。
「つくしの緑庭園」とはまた雰囲気が違いますね。
「万年青の緑庭園」は、寝所でもあった「亀の間」に面してます。
こちらも縁側に座ってのんびりと過ごせます。
2階の廊下から見た庭。
ちょっと見にくいけど「赤門」の向こう側は、兼六園です。
天気が良い日は、兼六園を散歩したりもしてたんでしょうねー。
兼六園側から「成巽閣」へと向かうと、「赤門」が見えます。
この「赤門」が成巽閣への入り口にもなってます。
成巽閣の開館中は赤門は完全オープンな状態です。
さて、「赤門」と聞いて連想するのは……
やっぱり東大の赤門ですよね。
その「東大の赤門」を造ったのは加賀藩なんですよ!
それも、成巽閣を造営した13代藩主斉泰です。
実は東大の赤門のある場所は、江戸時代、加賀藩の上屋敷があったんです。
そして、13代斉泰は、文政10年(1827年)に、11代将軍徳川家斉のご息女「溶姫」を正室に迎えることになるんです。
当時、将軍家から妻を迎える場合、朱塗りの「御守殿門」を造らねばならなかったらしい。
そこで江戸の加賀藩上屋敷に造られた朱塗りの「御守殿門」が今も残る、東大の有名な「赤門」となったわけですね。
いや、まさかこんなところに東大と金沢の縁があったとは。
成巽閣の赤門にはもちろん前田家の梅鉢紋がありますが、東大の赤門の瓦にも加賀藩前田家の家紋『幼剣梅鉢(ようけんうめばち)』が記されてますよ。
そして、母君の眞龍院は、もともと江戸の上屋敷におり、後に天保9年(1838年)に幕府から許可がおり、金沢へと移り住むんですね。
なので13代斉泰は、母君のために「巽御殿」を作るときに、江戸屋敷と同じ赤門を作ったのかな。
ちなみに、斉泰は、側室のお子なので、眞龍院は義母に当たります。
眞龍院にはお子がいなかったらしく、側室の子の面倒を見ていたそうです。
「成巽閣」と兼六園をつなぐ入り口は「赤門」。
成巽閣の正面にあたる正門は「石川県立能楽堂」側にあり、その周囲は見事な海鼠(なまこ)壁に囲われてます。
こっちは堅牢なイメージの門ですね。
いかにも大名屋敷といった感じ。
門を入ると勇壮な感じのお庭が出迎え。
この辺はなんだか大名家としての威厳を醸し出してる感じですね。
ぐるっと回り込むとお屋敷の入り口が見えます。
立派な入り口ですね。
この前に輿がつくのかな。
なかなか見応えたっぷりでした。
あ、成巽閣のすぐ近くには学業成就でも有名な金沢神社もあります。
そして道路挟んだ向かいには石川県立美術館があります。
もうほんと、この辺一帯は見どころいっぱいの金沢の一大観光エリアですね。
所在地 | 〒920-0936 石川県金沢市兼六町1-2 |
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開館時間 | 9:00〜17:00(入館は16:30まで) |
休館日 | 毎週水曜日(祝日の場合は翌日)、12月29日〜1月2日 |
入館料 | 通常入館料:大人700円、中・高校生300円、小学生250円 ※春の雛人形展の時期は特別展となります(大人1,000円、中高生400円、小学生300円) |
駐車場 | 正門内に乗用車7台駐車可能 |
アクセス | 「出羽町(金沢医療センター前)」バス停から徒歩2分 |
問合せ | 076-221-0580 |
URL | http://www.seisonkaku.com |
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