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金沢城公園の黒門のすぐ近くにある「黒門前緑地」。
アドレナリンの研究で世界的に有名な研究者・高峰譲吉の邸宅と、旧検事正官舎が移築されているのですが、実はそれだけでなく、豊臣秀吉の養女であり、前田利家の四女・豪姫の住居跡ともいわれてます。
桜の時期はなかなかに美しく、隠れた名スポットでもあります。
大手堀そばにある金沢城黒門前。
佐久間盛政や前田利家が入場する前、金沢城のある場所は、金沢御堂という一向宗の拠点だった場所。
その頃、お城の正門である大手門はこの黒門だったそうですよ。
前田家が入城し加賀藩のお城となると、高山右近のアドバイスにより、黒門から現在の場所へと大手門を移したらしいです。
黒門は、江戸時代は西丁口門と呼ばれてたそうですが、いつの頃からか黒門と呼ばれるようになったらしい。
金沢城の黒門から近江町市場方面へと進むとすぐそばにあるのがこの「黒門前緑地」です。
ここには、加賀百万石の礎を築いた、前田利家とその正室お松の方の四女・豪姫の住居があったとされる場所なのですよ。
父と母の住むお城のすぐそばに娘の家があったということです。
といえば単純なんですが、案外そう単純な話でもなかった。
黒門前緑地の敷地内にあった「豪姫屋敷跡」の案内板。
豪姫は、天正2年(1574年)前田利家とお松の方との四女として生まれるも、豊臣秀吉の養女となります。
そして後に岡山城主の宇喜多秀家に嫁ぎ、備前の方と称されました。
ところが、慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いで、西軍につき、敗れた宇喜多秀家は、徳川家康により八丈島へと流されます。
一方、豪姫は実父である前田利家のもと、金沢へと帰るのです。
まぁ利家は慶長4年(1599年)に病死しているので、この頃の藩主は兄・利長ですが。
お松の方は、利家亡き後、芳春院と号し、豪姫に看取られ元和3年(1617年)に逝去されてます。
豪姫は、前田利家とお松の方の娘ですが、豊臣家の養女になってます。
豊臣家には子供がなく、利家とお松の方は、秀吉から次に生まれてくる子を欲しいと頼まれたのです。
男子でも女子でもどちらでも良いからという話だったみたいで、生まれた子の豪姫は養女に出されるんですよ。
秀吉の正室のねねは、豪姫を実の子の様に可愛がったと伝えられていて、また秀吉もかなり豪姫を寵愛したらしい。
ねねへの手紙に
「豪姫が男なら関白に就けたい」
「おねより高い位につけてやりたい」
とまで書いてるそうなので、その寵愛っぷりが伝わりますね。
女子に対して関白につけたいということは、おそらくかなり賢い姫だったのかもしれませんね。
さすがに関白につけることはできないので、豪姫を五大老の宇喜多秀家のもとへと嫁に出します。
宇喜多家は岡山城の城主です。
ところが秀吉亡き後、関ヶ原の戦い勃発。
石田三成の西軍についた宇喜多秀家と息子は、関ヶ原の敗戦後、八丈島へと流されてしまう。
同行を許されなかった豪姫は、しばらく高台院(出家したねね)のもとに仕えてましたが、慶長12年(1607年)頃に、兄・利長が治める金沢へと引き取られるのです。
金沢へと戻った豪姫は、金沢城のすぐ脇に屋敷が与えられ、さらに化粧料として1500石が与えられたらしい……
上級武士の禄高が大体200石位で、今でいえば年収数千万円くらいらしいから、1500石は……
化粧料で1500石……
さすが百万石のお姫さま……
しかもすごいのが、八丈島へと流された夫・宇喜多秀家のため、なんと加賀藩から隔年ごとに米や薬などの仕送りがされます。
流人としてはかなりの厚遇だったであろう宇喜多秀家、なんと当時としてはかなり長寿の84歳(1655年)まで生きたのです。
豪姫はそれより前、1634年、61歳で他界してます。
すごいのは豪姫が亡くなった後も、仕送りは続いていて、なんと明治2年(1869年)まで、255年も続けられたんです!
すげーな。
ちなみに豪姫は金沢に来る少し前、高台院に仕えていた頃、大阪でキリシタンとなってます。
洗礼名はマリアだそうです。
豪姫が金沢に戻る前、利家は金沢に、秀吉の伴天連追放令(1587年)により大阪を追われた高山右近を招いています。
……養父が伴天連追放令を出したのに、キリシタンになったんだね豪姫。
高山右近は、キリシタン禁教令(1613年)が出されるまで26年間金沢にいました。
しかも高山右近の屋敷も金沢城のそばにあったとされてます。
つまり関ヶ原の戦いの後、
秀吉に追放された高山右近と、
秀吉の養女の豪姫がご近所さんだったってことですね。
しかも、右近は大名の地位、豪姫は大名の正室の地位を失い、金沢へ。
どちらもこれからさらに弾圧されていくキリシタンという、なんとも不思議な縁ですねぇ。
右近はキリシタン禁教令ののちマニラへと渡り、マニラで生涯を終えます。
豪姫はその後も金沢で暮らし、再婚することなく天寿をまっとうします。
豪姫の菩提寺は「にし茶屋街」の近くにある大蓮寺です。
豪姫のお屋敷があったとされる黒門前緑地ですが、豪姫の住居はありません。
黒門前緑地にある建物は
- 旧高峰家
- 旧検事正官舎
です。
旧高峰家は、アドレナリンやタカジアスターゼの発明で世界的に有名な高峰譲吉博士ゆかりの家屋を移築したもの。
旧検事生還者は、明治43年(1910年)に兼六園下に建てられた建物を移築したものだそうです。
こちらの邸宅は実は無料で見学することができるんです。
茶室もあるので、お茶会で借りることもできます。
お茶会での貸切寺は、中の見学はできないですが。
開館時間は9時から17時までです。
訪れたのがほぼ17時でして、ちょうど門を閉めるとこでした。
残念。
また今度訪れよう。
桜の季節はすごい綺麗です。
なぜかガイドブックにはあんまり載ってないけど。
金沢城のすぐそばなので、黒門から近江町方面へといく人が、ん?ここはなんだろう?とりあえず入ってみる?的な感じで訪れる人が多い印象ですね。
名称 | 豪姫住居跡(黒門前緑地) |
---|---|
所在地 | 〒920-0937 石川県金沢市丸の内5−16 |
開館時間 | 9:00~17:00 ※茶会等使用時は不可 |
休館日 | 年末年始(12/29~1/3) |
入館料 | 無料 |
駐車場 | なし |
アクセス | 「武蔵ヶ辻・近江町市場」バス停下車 徒歩約6分 |
問合せ | 076-220-2190(金沢文化振興財団) |
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