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兼六園に隣接する場所にある「旧津田玄蕃邸」。
なんと一万石以上の禄高があった加賀藩の重臣・津田家の屋敷。
現在は兼六園の管理事務所として使われているので、建物内部の見学はできないんですが、玄関と式台は見ることができますよ。
江戸時代、加賀藩の重臣を務めた家の玄関は重厚で見応えありますよ。
兼六園に隣接する場所にある「旧津田玄蕃邸・旧金沢藩医学館」は、江戸時代、加賀藩の重臣を務めた津田家のお屋敷。
石川県の指定文化財でもあります。
元々は金沢城の大手門、正面左側、現在の金沢市大手町、にあったそうで、加賀藩にとって重要なポストに就いていたんでしょうね。
金沢城や城下町を焼き尽くした宝暦の大火(1759年)の後に再建されたそうです。焼けたんでしょうね。
その後、明治3年(1870年)に加賀藩が津田邸に「医学館」を開設。
すると医師有志による「金沢病院」ができ、「石川県金沢病院」となり、現在の金沢大学医学部へと繋がっていくそうです。
金大医学部の前身かぁ。
明治45年(1912年)に金沢医学館が宝町に移転した後は、「乃木会堂」となる。
さらにその後、大正12年(1923年)には、建物の保存のため金沢城大手門前から現在の場所に移転され「兼六開館」と改称。
そして昭和39年(1964年)10月から兼六園の管理事務所として利用されています。
さまざまな変遷を辿った「旧津田玄蕃邸」は、内部は当時からするとかなり変わっているんでしょうが、玄関と式台は当時の面影を残しているのです。
どちらにしろ現在は兼六園の管理事務所となっているため内部の見学はできないのですが、お屋敷の玄関と式台は見学できます。
式台とは、玄関の土間と床の間に設けられる板敷のことで、武家屋敷だと、駕籠からの乗り降りの際に、地面に降りて、足を汚さないために使われました。
「旧津田玄蕃邸」の式台は、板というか、階段ですね。
玄関には、加賀藩の概要や津田玄蕃邸についての説明書きがありました。
それによると、三段の式台では、三段の式台では当主や藩主の使者、賓客を送り迎える儀式を行ったそう。
また、式台前の鏡石は加賀藩独自の四半模様で、来訪者がこの鏡石を踏む時は、雨や雪に関わらず従者に持たせた太い白緒の藁草履(福草履)に履き替えたらしい。
なかなかに格式高い玄関なんですね。
現在、石川県内に残る1万石以上の武家屋敷の玄関遺構としてはここ「旧津田玄蕃邸」が唯一残るものなんだそうです。
個人的には玄関上の破風のとこかな、にいた龍がめちゃめちゃかっこいいなと思いました。
津田家の初代は、室町時代の名門斯波氏の後裔で、津田正勝。
前田家2代藩主・利長の頃に来任して、2代目からは「玄蕃」を津田家当主の通称として受け継いでいったらしい。
加賀藩では家老職を務め、禄高はなんと1万石!
こちらが江戸時代の津田玄蕃邸。
現在残っているのは、左側の玄関式台のある棟の部分ですね。
ついでに、加賀藩には1万石以上の重臣が12家あったという。
加賀八家(本多・長・横山・前田・奥村・村井・前田・奥村)という1万石以上の禄高がある家臣団がいたのは有名なんですが、さらに1万石を超える家臣が4家もあったんですね。
津田家はその1つ。
1万石がどの程度かわかりにくいですが、まぁ下手したらその辺の大名クラス並みです。
下手したら半分近くの大名は3万石以下だったりします。
ちなみに3万石は城が持てるか持てないかの基準値みたいなものかな。
「超入門!お城セミナー 第54回【歴史】:大名なのに城が持てない!? 「石高」とお城の意外な関係とは」で石高について分かりやすく書かれてますよ。
加賀藩には大名並みの1万石以上の家臣団が12家いたのか。そう思うと、本多家、えげつないな……5万石って……
5万石でも家臣なんだよな、あらためてすげーな百万石って……
まぁ実際には百万石以上あったらしいけど……
ちなみに「旧津田玄蕃邸(兼六園管理事務所)」には、初代の「ことじ灯籠」と「虹橋」が保存されてます。
兼六園の超有名スポット&写真撮影スポットのあの「ことじ灯籠」です。
実は現在兼六園にある「ことじ灯籠&虹橋」は2代目なのです。
初代の「ことじ灯籠」は、倒されてバラバラに壊されてしまったんですね……
壊された初代・ことじ灯籠は、コモにくるまれて管理事務所で保管されてるんです。
「ことじ灯籠」の手前に架かる橋、写真撮影するときにみんなが乗る橋ですね、を「虹橋」といいます。
これも兼六園にいるのは2代目です。
これはまぁ石橋とはいえ多くの人が渡るとすり減るし、危ないので掛け替えられたんです。
その初代・虹橋もここ旧津田玄蕃邸に保管されてるのです。
【金沢】兼六園といえばやはり2本脚の「ことじ灯籠(とうろう)」!もともとは左右同じ長さだったらしいどこにいるのかなと思ったら、玄関左側の庭におりました。
特に説明もなかったけどこの形状はおそらく間違いなく「虹橋」でしょう。
流石に初代「ことじ灯籠」はいなかったけど。
まぁバラバラだしね。
「旧津田玄蕃邸」の庭にも、辰巳用水の石管がありました。
辰巳用水は、金沢城に水を引くため犀川の水を引くために作られました。
表向きは防火対策、実際は、空堀を水堀にしたり城内の飲料水獲得のための防衛策だったんだろうと言われてますけどね。
3代藩主利常の命で造られ、寛永9年(1632年)に完成。
約11キロメートル上流の犀川から取水して、金沢城内へと水を通すという一大治水事業です。現在も辰巳用水は使われてますよ。
完成当時は木管だったそうですが、天保15年(1844)に石管に取り替えられたそうです。
辰巳用水に使われていた石管ですが、金沢市内のいろんな場所に保管、展示されたりしてます。
ここ「旧津田玄蕃邸」の庭にもありました。
すぐ近くの「いしかわ赤レンガミュージアム」にも辰巳用水の石管がありますよ。
こっちは噴水モニュメントのようになってて見応えあります。
【金沢】「いしかわ赤レンガミュージアム」の庭には辰巳用水の石管を利用した噴水モニュメントがあるよ「旧津田玄蕃邸」ですが、兼六園の敷地内にあるっぽいように見えますが、兼六園の外にあります。
場所的には兼六園の上の方、金沢神社や石川県立美術館の向かいです。
なので「旧津田玄蕃邸」を見るときは、いったん兼六園の外に出ないといけません。
兼六園はチケットを見せれば再入場できますよ。
名称 | 旧津田玄蕃邸・旧金沢藩医学館 |
---|---|
所在地 | 〒920-0936 石川県金沢市兼六町1−4 兼六園案内所 |
アクセス | 「広坂」バス停下車徒歩約5分 |
問合せ | 076-225-1841 |
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