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「歴史の小径」を歩き、石川県立美術館へと向かったところ、「高山右近屋敷跡」と書かれた看板がありました。
高山右近といえば、おそらく日本で、世界でも、最も有名なキリシタン大名。
実は高山右近は、豊臣秀吉による「バテレン追放令」が出された後、26年間を金沢で過ごしているのです。

中村記念美術館から「歴史の小径」を上り、石川県立美術館の裏側に出て、美術館沿いに歩いていたら「右近の屋敷跡」と書かれた看板を発見!
右近の屋敷地は、その後本多家上屋敷となる土地であったことが、大乗寺の由緒書に書かれているらしい。
それが現在の石川県立美術館周辺ということなんですが、金沢21世紀美術館の敷地内という説もあるらしい。
大乗寺の由緒書によると、高山右近の屋敷跡は、本多家上屋敷周辺とのこと。
今の石川県立美術館のあるあたりですね。
ただ、「金沢古蹟志」には、
「高山南坊の第跡は石浦神社の向、旧藩中は岡田氏等の邸地となり、今師範学校の囲い地となりたり。」
と記されてるらしい。

金沢21世紀美術館には特に「右近の屋敷跡」の看板はなかったな。

これは石川県立美術館の裏手にあったもの。

石川県立美術館の横を流れる辰巳用水沿いの散策路を通って美術館の裏手に。
ガラス張りのとこは美術館内にある、辻口博啓さんプロデュースの「ル・ミュゼ・ドゥ・アッシュ(LE MUSĒE DE H)金沢店」。


もうちょっと進んだところに「右近屋敷跡」の看板がありました。
ちなみにこの先には、中村記念美術館へと繋がる
がありますよ。
中村記念美術館は金沢21世紀美術館のわりと近くにあります。

木立の間から国立工芸館が見えてなかなか趣深い散策路です。
石川県立美術館も、金沢21世紀美術館も、「右近の屋敷跡」らしいよと言われてるだけで、実際に史跡跡があるわけではないんですよね。
石川県立美術館裏の立て看板が物語るのみ。
とはいえ、石川県立美術館も、金沢21世紀美術館も、どちらも金沢城からはめちゃ近いんですよね。
高山右近を加賀藩に招いた前田利家は、かなり側近くに住まわせたということは間違い無いんだなぁ。
石川県立美術館があったあたりはかつて加賀藩筆頭家老の本多家の上屋敷があった場所で、
金沢21世紀美術館あたりは、その本多家の中屋敷や下屋敷があったあたり。
加賀藩の中でもかなり重要な位置を占める人が住むことになった場所に住んでいた高山右近は、加賀藩の中でもかなり重んじられていたということだね。
屋敷跡がちょっとでも残ってりゃなぁ……
ちなみに「金沢古蹟志」によると、高山右近は、慶長7年(1602年)前後くらいに、屋敷を石川県立美術館or金沢21世紀美術館あたりから、尾山神社近くの旧金沢貯金事務センター跡に移ったそうです。
残念ながらその場所にも特に、屋敷跡の史跡が残ってるわけでもないんですが。
というか立て看板すらなかった……
人生の3分の1近く過ごした金沢なんだけど、右近にまつわる史跡は、ほとんどが跡地なんだよなぁ。
その中で、高山右近の聖遺物が安置されているのが「カトリック金沢教会」。

右近の屋敷跡だったとされる金沢21世紀美術館のそばにある教会です。
ちなみに教会内には、高山右近に関する紹介パネル?が盛りだくさんでした。


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