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琵琶湖の湖畔に建つ長浜城は、豊臣秀吉が最初に手がけたまさに出世城!
江戸時代に廃城になっちゃったけど、復元されて今は歴史博物館になってます。
パノラマ展望台からの眺めはサイコーですよ。
去年、2019年の夏に突然思い立ち「竹生島に行こう!」と友人で日帰り弾丸竹生島旅行に行ってきたのです。
早朝、車のいない北陸道をひた走りやってきました滋賀県!琵琶湖!
ただ長浜港の竹生島クルーズ船乗り場についたら、ちょうど船が出発してしまったところ。
次の便は約1時間後。
さて、困ったぞと思いつつも、来る途中に見えていたお城、そう長浜城がすぐ近くにあるのです!
クルーズ船乗り場の方に聞くと、歩いてすぐとのこと。
よし、それなら長浜城に行ってこよう!と長浜城へとやってきたのです。
しかもクルーズ船乗り場で長浜城の割引券ももらえた、ラッキー。
しかしです、長浜城に行こうと思ってやって来たわけではないので、完全に時間配分を間違えました。
現在の長浜城は昭和58年(1983年)に再興されたもので、お城の中は歴史博物館になってます。
これがなかなかの充実ぶりでして、天守から見る景色もすんばらしいのです。
もっとたっぷりと時間を取り余裕を持っていくべきでした……
長浜城は、あの羽柴秀吉、そう豊臣秀吉が最初に築いたお城なのです!
浅井長政の裏切りにより端を発した、元亀元年(1570年)「姉川の戦い」。
織田方が勝利し、その後も「一乗谷城の戦い」、「小谷城の戦い」と続き、天正元年(1573年)についに浅井家は滅亡してしまいます。
その時に、秀吉(この頃は木下藤吉郎)が落城する小谷城からお市の方と3人の娘を救出したというエピソードは有名ですね。
この3人の娘の長女・茶々がのちに秀吉の側室となる淀殿なんですよね。
父・長政を死に追いやり、さらにその後、賎ヶ岳の戦いで柴田勝家とともに母・お市の方も死に追いやった秀吉に嫁ぎ、さらには跡取りとなる秀頼を産んでるんですよね。
それが戦国とはいえ、波乱万丈すぎる人生ですね。茶々どのは。
ちょっと脱線しました。
そんなこんなで戦功をあげた藤吉郎・のちの秀吉くんに、信長は浅井家の領地の大部分なんと12万石!を与えます。
そしてここで藤吉郎は「羽柴秀吉(はしばひでよし)」と名を改め、城持ちの大名に出世するのであります!
また当時は「今浜」と呼ばれていた地を、信長から一字を拝領し「長浜」と地名も改めるんですね。
そして小谷城の資材を流用してお城造りを始めます。
築城のために領内の住民を集めたり、竹生島から資材を運んだりしたという記録はあるそうですが、お城の絵図は残っていないので、実際に長浜城がどんなお城だったのかというのはわからないらしい。
長浜城が完成すると、秀吉は小谷城から家族とともに移り、天正10年(1582年)まで居城とし、長浜城から中国攻めや北陸攻めへと出発していたんですね。
天正10年(1582年)本能寺の変で信長が亡くなると、秀吉はかの有名な「中国返し」を行い、明智光秀を打ち破ります。
果たして『麒麟がくる』では一体どのように描かれるのか、今からワクワクですね。
そしてその後行われた「清洲会議」で秀吉は長浜城を柴田勝家に譲ります。
丹波・山城・河内28万石になって山崎城を居城とします。
12万石から28万石への大出世!ですねぇ。
長浜城を譲り受けた柴田勝家は、甥の柴田勝豊を長浜城城主にします。
ところがどっこい、なんとその年の年末に、秀吉が長浜城攻撃!えぇ!?
秀吉の家臣・大谷吉継の調略により柴田勝豊は降伏。
天正11年(1583年)賤ヶ岳の戦いで柴田勝家を破った秀吉は大阪城の築城に取りかかり、天下人へと駆け上がっていくわけですね。
ちなみに賤ヶ岳の戦いの後は山内一豊が長浜城に入ります。
慶長11年(1606年)には家康の側近の内藤信成が長浜城主になります。そして息子の内藤信正も2代目長浜城主にります。
しかーし、秀吉亡き後、豊臣方と徳川方との最後にして最大の戦い、「大坂の陣」の後、内藤家は摂津・高槻藩に移ります。これが慶長20年(1615年)のこと。
この後、長浜城は廃城となり、彦根藩井伊家がこの地を管理します。
彦根藩では彦根城築城の際に、長浜城の資材を流用したそうで、彦根城の天秤櫓は長浜城から移築したものだと言われてます。
他にも
- 長浜・大通寺の台所門=長浜城の大手門
- 長浜・知善院の表門=長浜城の搦手門
だと言われてます。
なので長浜城の遺構として残っているのは、わずかな石垣と、琵琶湖湖畔にある「太閤井戸」だけだそうです。
現在の長浜城は、昭和58年(1983年)に安土桃山時代の城郭、犬山城や伏見城を参考に復元されたもの。
建物の内部は歴史博物館になっていて、2階、3階が展示室、4階が茶室、5階が望楼・パノラマ展望台となってます。
4階の茶室は、4〜5月と10〜11月の日曜祝日のみ開くそうです。
2階の展示は湖北・長浜ゆかりの資料、3階は「秀吉と長浜」をメインテーマに秀吉の他、浅井長政、石田三成といった長浜と関わりの深い人物達の足跡や人物像を紹介してるそうです。
長浜城は豊公園の一画にあります。
やや洋風な公園から望む長浜城。
なんだろう、違和感がないのが違和感。
普通に馴染んでますねぇ。
公園には噴水もありました。
一定の時間になると噴き出すみたいです。
せっかくなので噴水と一緒に長浜城を撮ってみました。
何とも不思議な世界観。
こちらが長浜城!
というか長浜市長浜城歴史博物館です。
かなり立派です。
石垣がかっこいいわ!
3重5階建構造。
白いお城なんですねぇ。
ミュージアムショップにはフォトスポットもありました。
さすが歴史博物館ですね、館内はエアコンが効いていて涼しかった〜。
いやぁ、この日はそれはもういい天気で、真夏日どころか猛暑日くらい暑かったんですよ……
お城の中入った瞬間、天国っ!って思いましたわ。
天守を上った先にあったパノラマ地図。
琵琶湖と長浜城を中心に見た、各お城の位置関係がわかります。
そして天守から見た眺め!
目の前に広がる琵琶湖!
サイコー!
風がきもちい!
こーしてお城の上から眺めると「天下とった〜」って気になりますねぇ。
いや〜しかし琵琶湖デカイねー。
入り口でもらうパンフレットには展望台から見える場所の案内図が載ってますよ。
展望台にも各方角ごとに案内板があります。
マンション?の奥にあるのが伊吹山で、その左手が姉川古戦場、そして右側には関ヶ原古戦場があるんですね。
ちなみにこの真下が、お城の入り口ですね。
最初に登ってきた階段が見えます。
ぐるっと回って位置を変えてみると、
こんな景色に変わります。
目の前のまさにお椀をひっくり返したような山が山本山かな。
賤ヶ岳古戦場がその奥の方で、小谷城跡はもっと右側にあるらしい。
そして目指す竹生島は左端のこんもりした山がそうかな?
なかなかに名残惜しいですが、竹生島へと向かうクルーズ船の時間が迫っているので、ダッシュでめぐりました!
訪れた時にやってた企画展がこちら「戦国を生きた長浜ゆかりの女性たち」。
めっちゃ気になる!
すんごい面白そうなんだけど、これ見てたら確実に竹生島に行けなくなるので、泣く泣く諦めました!
今度はしっかり時間とってやってきます!
長浜ゆかりの人はさー、絶対これから『麒麟がくる』に出てくるよね〜。
あーみたかったぁ。
所在地 | 〒526-0065 滋賀県長浜市公園町10−10 |
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開館時間 | 午前9時~午後5時(入館受付時間は午後4時30分まで) |
休館日 | 年末年始(12月27日〜1月2日) |
入館料 | 大人400円、小・中学生200円 |
駐車場 | 豊公園駐車場(普通車の場合3時間以内は無料) |
アクセス | JR北陸本線「長浜駅」から徒歩約7分 |
問合せ | 0749-63-4611 |
URL | https://www.city.nagahama.lg.jp/section/rekihaku/ |
館内での展示物の写真撮影や飲食は禁止です。
- 2019年8月に訪問した際の内容です。営業形態、営業時間や定休日が表記と異なる場合がありますので、ご利用の際は必ず事前にご確認ください。
- もし掲載内容に誤りがありましたら、大変お手数ですがご指摘いただけると幸いです。
- 写真の無断転用はご遠慮ください。
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