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「浅草寺」での初詣を終え、皇居へとやってきました。
なにせ元日は東京も横浜もいろんな施設がお休みです。
歌舞伎座とか行ってみたいけど2日からなんですよね〜。
というわけで皇居の周りを散歩。
【東京】元日に浅草の『浅草寺』に初詣に行って来た。すんごい人混みだった。皇居東御苑は年末年始は残念ながら開いておりませんでした。
門が閉じられてますね。
「大手門」は江戸城本丸登城の正門ですね。
江戸時代はこの門を大名や武士たちが出入りしていたわけですね。
江戸城の大手門は1606年(慶長11年)に建てられたけど、1657年(明暦3年)の「明暦の大火」で焼失。
その後、1659年(万治2年)に再建されたそう。
江戸城を取り巻く地形図も載ってるのだけど、これをみると、江戸城の堀が同心円上ではなくて、「の」の字を書くように螺旋状に広がっていってるのがよくわかるなぁ。
『ブラタモリ』で「姫路城~姫路城で江戸城のロケをするのはあり!?~」という回で、姫路城と江戸城の共通点をやってたんですよ。
そこでどちらの城も堀が「の」の字を描いているってやってたんですねー。
ほんとに「の」の字だ。
正面に見える「高麗門」は1659年に再建された当時のもので、門の内側の「渡櫓門」は1966年(昭和41年)に東御苑開園に伴い再建されたんだそうです。
つまりこの門は江戸時代からいるわけですね。
感慨深いわぁ。
「大手門」から桔梗濠に沿って皇居外苑へと歩いていくと次なる門は「桔梗門」。
「桔梗門」は江戸城本丸南口の通用門。
ここも登城の門。
「内桜田門」とも呼ばれてたそうです。
1614年(慶長19年)に建てられたものでございます。
現在は、皇居の一般参賀の入り口にもなってますよ。
ニュースで見ますね。
西の丸から降りる坂下にあるから「坂下門」。
かつては西の丸の通用門だったそう。
ちなみに江戸城は本丸以外にも、二の丸と西の丸にも大奥があったらしい。
1862年(文久2年)に老中・安藤信正がこの門外で水戸浪士に襲われた「坂下門外の変」が起こった場所ですね。
坂下門向かって左側に広がる皇居外苑は、江戸時代には幕府老中や若年寄などのお屋敷があった場所。
明治10年以降に広場として整備されたそうです。
皇居に来たら「二重橋」は外せないよね。
うーん、2つの橋をうまく写真におさめるのが難しい……
ちなみに「二重橋」は、2つある橋の内、奥にある「皇居正門鉄橋」のことをいうらしい。
「皇居正門鉄橋」は1614年(慶長19年)造られた当時は木造で、強度を保つために橋桁を「二重」に組んでいたのだそう。
そこから「二重橋」と呼ばれるようになったんだそうで。
橋が2つ重なって見えるとか、アーチが2つだから、ではなかった。
てっきり橋が2つあるからだと思っていたら、違った。
現在の橋は1964年(昭和39年)の新宮殿造営の際に鉄製の橋に架け替えられたため、実はもう橋桁は二重ではなくなってるんです……
手前に見える橋は「正門石橋」と言って、1887年(明治20年)に造られました。
そうかぁ橋桁が二重だったから「二重橋」かぁ。
皇居に来たらやっぱり外せないのが「桜田門」ですね。
お堀沿いを歩いて行くと見えました!警視庁!
そして、現れました「桜田門」!
でかいな。
「桜田門」は正式には「外桜田門」と言います。
本丸の通用門の「桔梗門=内桜田門」に対して付けられたらしい。
皇居、と言うか江戸城の門はほとんどが防御性の高い「枡形門」。
「外桜田門」は西の丸の防備のためかなり大きく造られてる。
枡形門は門の中に入っても周りを囲われてるから逃げ場がないよね。
それにしてもでかいな。
関東大震災の時に破損してしまったけど、鉄鋼土蔵造りで復元されてます。
桜田門といえば、やっぱり「桜田門外ノ変」が超有名ですね。
1860年(万延元年)に大老・井伊直弼が水戸藩の脱藩浪士に暗殺された事件ですね。
桜田門外ノ変が起こった場所は、まさに「外桜田門」へと堀を渡る手前、警視庁の目の前!あたりらしいです。
彦根藩上屋敷から江戸城へと登城する途中で襲われたんですね。
ちなみに彦根藩上屋敷は現在の憲政記念館・国会前庭(北庭)あたりにあったそうです。
だからお家を出て割とすぐ襲われちゃったということか……
「桜田門外の変」があった場所に警視庁があるというのも、なかなか感慨深いものですなぁ。
大老・井伊直弼が入ることのできなかった「桜田門」の内側。
そういえば警察の方が、門の上の方へと登って行ったと思ったら、門の端っこにあった扉を開けて中に入って行きました!
え?普通に今でもこの門、倉庫みたく使ってるの!?
すっげ気になる。
間違いなく立ち入り禁止だけど。
「桜田門」で妄想、歴史に思いを馳せ、再び皇居外苑へと戻るとお堀近くで何やら警察の方が作業している。
一般参賀に向けての整列のコーンは並べられてるけど、ダイビングの格好をしている人が。
しばらく見守っていたら、ボートに乗り堀へ漕ぎ出す人、
ウェットスーツを着て堀へ入る人、
なんだろ、なんか危険物とかないかのチェックですかねぇ。
天気いいとはいえ、寒い中ご苦労様です!
そして次々にやってくる各国大使館の車。
元日は「新年祝賀の儀」でしたね。
二重橋をそのまま車で渡って行くんですね!
初めて見た!
というか大使館の車の行列というのも初めて見たなぁ。
なかなかお目にかかれない光景。
大使?外交官?の車のナンバープレートってほんとに青いんですねー。
元日なのでほぼ見れるところが限られて入るけれど、というか「門」くらいしか見れないけど、なかなか楽しかったです。
そして散策してて気持ちいいね。
なんとなく皇居の周りを走る皇居ランナーの気持ちがわかったような。
(走らないけどね)
あらためて思うのは「皇居」って、江戸城跡なんですよね〜。
江戸城の天守が残っていたらどうなってたんだろうなぁ。
あ、天守は1657年(明暦3年)の「明暦の大火」で焼失してます。
その後再建されることもなく、江戸時代は実はほとんど天守がない状態だったんですよね。
天守があったのは最初の50年くらいか。
ということは時代劇で江戸城の天守があるのは、実は……
せっかく皇居まで来たので「東京駅」も見て行きましょう。
レンガ造りの駅舎カッコいいね!
いつか「東京ステーションホテル 」に泊まって見たいものです!
一体いくらするんだよ……