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熱田神宮・本宮から参道を南へと進みます。
大体500メートルくらいかな?歩くと熱田神宮の正門・南門にたどり着きます。
その先に熱田神宮を参拝する際に、やっぱり外せない「別宮八剣宮」と「上知我麻神社」があるのです。
熱田神宮の正門でもある南門。
南門に向かって左側に「別宮八剣宮」と「上知我麻神社」があります。
南門をくぐる手前ですね。
本宮から南門へと来ると、南門を抜けた右手にあります。
和銅元年(708年)に元明天皇の命により、神剣を新たに造って奉納するために創建されたという「別宮八剣宮(べつぐうはっけんぐう)」。
御祭神は熱田神宮・本宮と同じ、熱田大神(あつたのおおかみ)。
何度も修繕や造替が行われてるので創建時とは違うんだろうけど、現在の社殿は本宮と同じ造りになってて、年中祭儀も同じように行われるんだそうです。
本宮に次ぐ社格という位置づけになってます。
境内案内図も本宮が①で、別宮八剣宮が②になってました。
地図だけ見てたら、あれ②がないって思ったら全然違う場所にあったとゆー。
熱田神宮は本宮と別宮が北と南にあるんですね。
三種の神器の一つ「草薙神剣」が祀られているからか、戦国武将からの崇敬もあつかったようで。
特にここ「別宮八剣宮」には、
織田信長が「長篠の戦い」に出兵する際に、熱田神宮へ立ち寄り、戦勝祈願をし、さらに熱田の名工で懐刀・岡部又右衛門(おかべまたうえもん)に熱田神宮の修造を命じてます。
徳川家康も拝殿や回廊の修繕、再建までするし、綱吉の頃には幕府主導で大規模改修工事を行ったりしてるという記録があるくらい。
名だたる武将が祈願してるんですよね。
必勝祈願にかなりのご利益がありそうな感じ。
長篠の戦いといえば、織田・徳川連合軍VS武田勝頼。
これに勝利し三河を掌握し、信長は天下統一へと突き進む一方、敗れた武田軍はここから衰退の一途を辿るという……
熱田神宮すげぇ。
ちなみに別宮八剣宮という名前ですが、本宮に祀られてるのが「草薙の神剣」なので、「8本の剣」?
8本も神剣があるのかな?
実際、かつてはここ別宮八剣宮に「草薙の神剣」が奉安されていたこともあるしとか思っていたら、「八」は「弥栄」の「弥」と言う意味なんだとか。
「弥栄」は「いやさか」と読み、「一層栄える」とか「ますます栄えること」という意味です。
そうか、8本の剣ではなかったのね。
別宮八剣宮も熱田神宮・本宮と同じなので、
拝殿→外玉垣→中重→内玉垣御門・内玉垣→瑞垣→本殿
という造りになってます。
一般参拝者が入れるのは「拝殿」の手前までなのです。
拝殿の前からは本殿は全く見えません。
ちょっと横からようやく遠くに本殿の屋根が見えるくらいですね。
本殿の鰹木は8本ですね。
本宮に比べるとちょっと小ぶりですけどね。
ほぼ同じというのも面白いですね。
本当かどうかはわかりませんが、実は御神体の「草薙神剣」はかつて盗まれたことがあるのです。
無事戻ってきたけれど、盗難防止対策として、本宮のカモフラージュとして同じ形の社殿を作ったんだとか。
織田信長や徳川家康という戦国時代の名だたる武将が訪れているという「別宮八剣宮」。
熱田神宮まで来て、ここを訪れないというのは勿体なさすぎでしょう!
本宮の参拝を終えたら「別宮八剣宮」まで足を伸ばしてぜひ参拝しよう。
必勝祈願ということは、勝負運や仕事運にもつながるかもしれませんし。